はじめに:よくある質問
こんにちは、Lilyです^^
「なんで英語を勉強した方がいいんですか、今あんま使わないし」
これねー・・・うん、よく言われます。
私は、正直いうと
「別に、あなたがそんなに必要性を感じないなら
今しなくてもいいんじゃない?」という、ゆるーーーいスタンスなのですが
「でも英語喋れるんでしょ、なんで頑張ったのよ」
と言われると、
うーーん、
「出来ることが変わってくるものね」と思うわけです。
- 「これからの時代は英語だ」
- 「グローバル化についていくために」
- 「英語ぐらいできないと・・・」
なんて、人はよく言いますが
アレ、私はあんまりしっくりきません。
なんていうか、現実味がない。
「グローバル化」とやらが起きてるとしても、
自分の生活の周りは、大して変化ないし
おっしゃる通り日本語で困ってないですもん。
でも、それでも
「英語勉強したほうがいいですか」と聞かれれば、私は「はい」と答えるでしょう。
今日は、数年で10数か国を飛び回った私の視点から
「なんで英語を勉強したほうがいいのか」に、本気で答えてみたいと思います。
くすぶる能力の「もったいなさ」
突然ですが
あなたは、新しい出会いが好きですか。
人と話すことは、好きですか。
人と話したり、新しく出会った人と仲良くすることにワクワクを感じるのがもし、あなたの性格だったら――。
ならば、
日本だけで一生を過ごすのは凄くもったいない。
もっというと、
コミュニケーションが好きなあなたなのに、
話ができるのが「日本人だけ」なのがもったいない。
確かに、日本にいれば不自由はしません。
日本だって、人口は多いから1億人と出会えますね。
自分と性質の似た、でもちょっとずつ価値観の違う、「新しい人」。
あなたと彼らは、同じ国の人ですから暗黙のルールがあり、黙っていても分かり合える部分が多いでしょう。
つまり、一言でいうと、
「分かり合うのが超ラク」です。
ですが、そんなあなたが
海外に出たらどうなるでしょう。
国によって時間の流れが違う
インドネシアに行けば、日本よりもゆったりと時間が流れています。
社会全体が「時間は太陽の傾き具合(超ざっくり)」で動いています。
日本と同じような経済レベルでも、朝10時にはティータイム
14時には午後ティーを国民全員が習慣にしている社会があったり
海外の5時定時の会社は、4:50には社員全員が退社完了しているのが常識だったり。
電車も、みんな来るまで「ぼけーーーっ」と待ってて時刻表なんて気にしません。
なぜなら「電車は遅刻するもの」だし、早発するしでアテになりませんから。
対して日本は、2分でも電車が遅延したら謝罪アナウンスが流れますね。
秒刻みで正確なのが日本です。
・・・少し、日本の特殊性に気付いてくれましたか?
思考パターンが違う
私たち日本人からしたら、時間にルーズ過ぎる外国は「そんなんでよく社会がまわるな!?」とびっくりですよね。
で、そんな「ルーズな世界」で生まれて育った人と話すと、完全に理解不能、
「!?」のオンパレードです。
人はそれを「カルチャーショック」と呼びます。
私の場合ですと、勤務時間の昼2時頃に「お茶にしようか昼寝にしようか」と言ってくる同僚がさっぱり分かりませんでした。
私「え、ちょ、仕事は?」
同僚「何言ってるの、2時じゃない!」
「人間にはチョコレートと愛すべきコーヒーが必要」
同僚は、大真面目に言ってます、真顔です。
しかもお昼ちょっと過ぎの1時半頃から言い出すし。
頭おかしいんじゃないかと思いました。
退社の30分前、4時半にはもう全員荷物まとめ始めてるし。
「私が真面目すぎるのか、この人達がおかしいのか」
・・・その社会では、私が「おかしい」んですねー。
自分の常識を疑いはじめる
こうして、日本とは違う常識とルールの国にいると
自分の「当たり前」が
いかに整った、レールの轢かれた、誰かに定められたものかが分かるようになってきます。
「あ、私、マジメなんだ。」
※真面目はいいことだよ!
日本にいた頃は、
当たり前に毎日学校に通っていたことも、当たり前に時間きっちりに動いている電車も自分も、疑う余地すらありませんでした。
だって、それが私たちの常識ですから。
カルチャーショックがもたらす成長
じゃあ、そのカルチャーショックは、私になにをもたらしたのか。
このショックは、「ガーン」だけでは終わりませんでした。
彼ら外国人と話していると、自分と全く違う歴史を背負って育った人だからこそ、
日本では生まれないような斬新なアイデアを持ってきてくれるのです。
そうすると、
「普通はこういくよね・・・」
「大方こういう道筋で・・・」と、
「自分の常識の範囲内」で考えていたことを、
ちょびっとだけハズレてみるようになる。
で、やってみたら「すごぉ!いいねそのアイディア!」と、
うまくいったり、いかなかったり。
チャレンジそのものに、わくわくしてきたり。
自分の価値観がぐらりと揺れる
外国人の考えは日本人のあなたには、思いつきもしないような発想ですが、彼らにとっては普通の思考パターンだったりします。面白いものです。
逆に彼らにとっては、日本人の考え方や感性は独特です。
それぞれが持ち寄った独自のアイデアと混ざりあって、新いものができたりする。
そうやって自分の中で新しい発見を繰り返すと
1億人の、自分と同じ世界で生きる人と出会うより、
感情が縦にも横にも揺さぶられます。
あなたの信じて疑わなかった正義感や価値観ですら、ぐらりと揺れるでしょう。
日本人としての可能性に気付く
海外から見た日本の姿を想像してみてください。
外国人からしたら、日本は幻想的で不思議の国です。
秒刻みで動く電車、分刻みで変わる駅前、
世界トップレベルの人口密度でも圧倒的犯罪率の低さ、
地域地域に根付く踊りと食と文化とファッション、音楽・・・・
どこまでも心配りのきいたサービス。
どこの店員さんも「いらっしゃいませ〜」って言うし
「ありがとうございました」って言うし。
世界基準でみても日本が「すごい」のは、別記事をどうぞ。
でも、それが当たり前の私たちは、自分たちがどれだけハイクオリティ(高度)な世界を生きているかに気付かない。
ただ「外の世界の人に触れる」だけで、
あなたが、自分ですら予想していなかったダイナミックな形で、
価値観も人生観も、まるごと変化できるかもしれない。
あなたは世界の1%で生きている
当たり前ですが、
地球の99%は「日本以外」でできています。
広い広い世界の、たった1%で通用する常識とルールで生きているのです。
ちょっとでも「話してみたい」という気持ちがあるなら。
少しだけ勇気を出して「英語」を始めてみませんか。
そうして、残りの99%を生きる人達と出会ってみませんか。
英語は人生最強の「便利ツール」
そろそろ、「本題」に戻りましょうか。
日本語は相手を敬う言葉です。
だから日本人は、頭を下げ、
姿勢を低くし相手に敬意を表します。
相手がどうして欲しいかを自然と察しようとするし
相手に失礼がないよう、空気感を大事にします。
英語は、もっとストレートな言葉です。
外国人は、敬意を表す時も頭を下げたりはしません。
日本ほど明確な敬語がない代わりに、
日本よりも相手との距離が「近い」言葉です。
だから外国人は、挨拶がハグ(近い)ですしを
相手を尊重しつつも、堂々と胸を張ります。
日本語は、美しい。
「空気を読んで動く」「他人を思いやる」ことについて、
日本人以上にできる国民性を私は見たことがありません。
ですが英語も同じだけの歴史を背負って、
世界を変えてきた事実がある。
英語を学べば、欧米人の性格も理解できるでしょう。
独特の感覚を自分に取り入れることもできるかもしれない。
そうして、「日本のソト」の景色を
あなたの目で見てみて欲しい。
英語が全てじゃない。
勘違いしている人がいるのですが、
「英語=ステータス」ではありません。
日本だと、「英語ができる=仕事できる(?)=カッコイイ」みたいな感じがありますよね。うん、分かります。
でもね、、英語は「人に見せびらかす材料」ではありません。
英語は魅せるものではなく、使うものです。
あなたには、「英語」という道具を使って、
その先の人たちに出会って頂きたいです。
英語が凄いんじゃない。
英語を使って外の世界を見て新しい発見をする、
あなたが凄いのです。
そういう意味で英語は、
新しい人と出会う、とっておきの「べんりきっぷ」です。
事実「英語が無いと失われる可能性は、ある」
これは、言うと嫌われるかもしれませんが・・・
正直に言うと
英語がないだけでいろんな「可能性」が失われることは、あります。
日本でできることは無限にあるはずなのに、「日本で培った経験しかない」がゆえに、その可能性に気付けない。
自分一人分の経験と価値観しかないから、
見方が偏っていることに気付けない。
私が偏りをよく感じるのが「日本のニュース」ですが、、日本の不安を煽るニュースに自分の将来を重ねてしまって、絶望を感じてしまう人もいるかもしれませんね。
「日本はオワコン」とかって聞きますが・・・
「そんなことないのに。
方法なんて、いくらでもある。」
そう思いながら、いつも黙って見ています。
終わりに
さて、ここまでお付き合いくださり
ありがとうございました。
海外で通じる言語を道具に、
世界を見てみて欲しいです。
新しい発見は、あなたの可能性も広げてくれますから。
「外の世界を知って自分の人生を深める。
それができる道具の1つとして、英語を見てくれると嬉しいな」
とLilyは思うのです。
読んでくださって
ありがとうございました♡
Lily♡